もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

生きづらさを感じる要因の一つとして、言葉の重みがなくなってきていることは考えられないか

生きづらいと感じている人が増えているような気がする。
いや…昔からそういう人たちはある一定数いたんだと思う。
宗教や哲学の台頭は、その生きづらさが根底にある。

僕は特に何かを信仰しているわけではない。実家は確か浄土真宗だったと思う。だからといって特別なことは何もしていない。日本人のマジョリティーな宗教観

 

だけども宗教を根底から否定しているわけでもない。

確かに宗教絡みの問題は国内外問わず、多く存在しているわけだけれども(実際に僕も部屋に軟禁状態で3時間ほど勧誘を受けたことがある)問題は宗教そのものではなくて、宗教を扱う人にある。

 

ブッダの教えを読んでみるとわかる。元々の仏教は、仏様なんてでてこない。

ブッダ(細かく言うと、ガウダマ・シッダールタという人らしい。ブッダというのは位の名前。社長みたいな。たぶん…)という生きづらさをビンビンに感じまくって生きていた人が悩んだ末に色々悟って「こう考えりゃ楽になるよー」みたいなスタンスで教え広めたものであって、「我こそは神!」というものではない。

平たく言えば、当時のお悩み相談窓口のようなものだろう。

 

今の日本に広がったのは中国を経て広がった仏教。
いつの間にか変な尾ひれがついていた。

民衆の関心と支持を集めるために利用され、いつしか形骸化され一人歩きするようになっていった。

 

そう。多くの抽象的な言葉や思想は、時代が経つとともに形骸化され一人歩きしてしまう。利用され、元の解釈を捻じ曲げられてしまう。

それを時代の流れと言ってしまえばそれまでなのだけれど、それによって世界が窮屈になり、生きづらさを感じる要因の一つになってきている感は否めない。

 

最近で言えば、ハラスメントや男女平等・体罰などのワードが目立つようになってきた。または精神疾患に対する認識不足も否めない。上

に書いたことに加え、メディアやSNSの普及によってその問題は加速度的に広がっている。言葉の閾値が著しく低下し、良いように解釈され本来の意味を失っている。

 

さらに言えば「こうすれば成功する!」とか「成功者がやっている5つのこと」みたいな本まで溢れかえり、それに影響される人間も増えている。参考程度なら問題ないと思うが、あたかも人生の教科書のように後生大事に抱えて実践し、さらには他人を見下し強要する人間までいる。人間70億いる中で、その本で成功できるのなら世界共通の教科書にでもするべきだ。でもそうじゃない。

一番大事にするべきなのは個人個人の生きてきた人生で得たものじゃないか。
良いことも悪いことも、幸せも不幸も。ぶつかってつまずいて傷だらけになって得たものだからこそ、価値があると思う。

これだけ悩み、苦しんでいる人がいる中でそういった生きた体験・経験は大事にして欲しいと思う。

 

メディアやSNSの普及で世界が広がった。ある意味では。
でも逆に狭くなりすぎた部分もある。ある意味では。

 

もっと個人と向き合っていきたい。
社会が作った何となく収まりの良いケースに入った人じゃなく、もっと生の人間と。
悩んでいるのは生きている証です。僕ももっと自分の生きた言葉を届けていければと思う。