幸せについて本気出して考えてみたら、〔普通〕のハードルが高くなっていることに気がついた
そこそこの大学へ行って友達や彼女ができたりして、まぁまぁの会社に就職して物凄く給料が良い訳ではないけれど仕事に励んで、数年付き合った彼女と結婚して結婚式を挙げてみんなに祝福されて、2年くらいしたら子供ができてそんなに大きくないけれど家を建てて、反抗期で大変な時期もあったけど子供も無事に成人して就職して結婚して孫も産まれて、退職したら奥さんと二人で孫の成長を見守りながらゆっくり余生を過ごす。
派手じゃなくていい。
大金持ちじゃなくて良い。
こんな普通の生活を送れたらそれで良かったのに…それすらもできないなんて…って思ってた時期もありました。でもこれって普通どころかとても幸せですよね。現状に満足できていないからこそ陥る落とし穴かも知れません。
でも僕自身、病気を乗り越えた後は考えも変わりました。
普通に朝起きて、普通に食事をして、普通に仕事をして、普通に家に帰り、普通に帰宅して寝る。これだけできればとても幸せだと感じます。もしかしたらそう思うことで自分を支えているのかもしれませんが、「あの頃に比べたら!」と思えます。
でも「あの頃に比べたら」思考は場合によってはすごく危険な落とし穴になり兼ねないので注意は必要です。今の僕の悩みは今の僕だけのもの。過去や他人と比べる必要なんて全くないので。
壮大な自然を前に「何て自分はちっぽけなんだ」なんて思う必要もないんです。全然ちっぽけじゃないから悩んでいるのはわけですから。僕の悩みは僕だけのもの。理解してもらうつもりもないし、される必要もない。自分の中で処理できればそれが一番良いんです。でもどうしても無理だなって時に周りを頼ったりどこかに吐き出せばいいんです。
「日常の中の小さい幸せを数えましょう」
素敵な言葉ですね。色んな本に書いてあります。確かに大事です。でも結論なんてみんなわかってるんです。その小さい幸せに気づけるなら最初からそうしてます。
大事なのは方法論です。
どうやってそこに至るのか、何が自分にとって幸せかを知ることの方が大事なような気がします。色々ぶつかって転んで大事なもの失って…その辺りでようやく本当に本当に自分が何を求めているのかに気づけるんだと思います。
色んなものを失っていくとあれだけ大事だと思ったのに手放してみると案外平気だったりする。そうこうしてる間に「あぁこれが自分にとっての幸せなんだ」と気づく。幸せはなるものじゃなくて気づくものなんじゃないですかね。たぶん。
いつも自問自答するんです。
幸せって何なんですかね。
お金をたくさんもらうことですか。
きれいに、かっこよく着飾ることですか。
失敗しないことですか。
長生きすることですか。
いろんなものを集めることですか。
人を見返したり、見下したりすることですか。
それを得た先に僕は何を見ますか。
それを得た自分は本当に幸せだろうか
僕が心から欲しくてたまらないのは、僕が心から愛した人の笑顔です。
くっさい台詞かもしれませんが、僕はそれさえあれば苦しくても頑張れるんです。
家に帰ればその笑顔を見れるというだけで頑張れるんです。
お金も必要です。身なりも大事です。
でも忘れちゃいけないのは何のためにそれを得るのかじゃないでしょうか。