もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

熊本地震

熊本は僕の故郷だ。

その熊本を震度7地震が襲った。震源地の益城町は僕の地元の隣の町。完全に他人事とは思えなかった。

奇しくも熊本を地震が襲う数分前に、東京近辺を小さな激しい地震が襲った。状況を理解すべくTwitterを開き情報を集めると、熊本にも地震が来たことを知った。


とりあえず母親にメール。
そして友達数人にLINEをした。
多くの人から「実家は大丈夫?」と連絡をもらった。


ここから先は正直な気持ちを書こうと思う。誰にも言えないから。匿名性を利用して。







結論から言うと僕はこの1日で何度も泣いている。


それは家族が無事だったから安心して泣いたわけではない。正直に言う。


家族の安否なんて心の底から心配していたわけでない。


「どっちでもいい」


そう思っていた。

それは家族を恨んでいるからではない。負の感情からそう思ったわけではない。

家族のことに関してはある程度覚悟している。本当にできているかどうかは別として、「いつ死んでもおかしくない」とずっと前から考えている。


友達のことは本当に心配だった。
でもそのLINEを送った気持ちの中に、下心のようなものが全くないかといったら嘘になる。いつもの「いい人に思われたい」というやましさ。それが全くないかと言うとそうではないと思う。送っている途中で気がついてしまった。汚い人間。


そんな僕が何に泣いたのか。


それが正直わからない。


大袈裟なだけかもしれない。


悲劇のヒロインぶってるのかもしれない。


でも自分が何に対してショックを受け、何に対して悲しんでいるのかを理解できないことは、とても奇妙なことだと思った。


郷土愛がそこまで強いつもりもない。家族の生に対しての執着もない。友達に対して下心がある。



それでも僕は何かに傷つき、悲しんでいる。いつかその理由がわかる日が来ればいいと思う。



最後に


今回の地震被害によって多くの人が傷ついた。安心して休めない日々はまだ続くかもしれない。それでも、少しでも早く心休まる日々を取り戻せる時が来るのを心から祈っている。


この言葉に下心はない。

調子

今日は調子が良い


朝もスッと起きられ、やるべきことをやり、ご飯を食べ、頭も冴えている


こういう日は自信、というか自己肯定感がみなぎってくる


相変わらず自分をとりまく状況に変化はないのだけれど


何とかやっていけそうな気になる


調子が悪いと


これが永遠に続くんだ…


一生このままだ…


もうダメだ…


しか考えられない


これはもう病気なんかではなく、自分はこういうダメな人間だから仕方ない


できるだけ誰にも迷惑かけないように生きて、死のう


そういう考えしか浮かんでこない


でも今日は違う


頑張れるし


頑張りたい


こういう日があるから、調子が悪い日を異常だと思える


自分は病気だと思える


病気だから治せる、もしくは良くなっていけると思える


こんな調子の日が増えていけばいいな


過剰に期待はしないさ


もしかしたら生涯で最後の調子が良い日かもしれないから


でもこういう日が続くように、増えるように、やるべきことをやっていこう


まだまだやれることはある。死ぬのはもっともっと先だ

幸せになりたい

幸せになりたい

たぶん全員がそう思っていると思う

Facebookを開けば

恋人とデートをしたり

結婚したり

子供が生まれたり

目立つ仕事に就いていたり

海外旅行をしていたり

テレビで見たことがあるお店で食事をしていたり

そんな光景が途切れることなく公開され続けている

それを見て

「いいなぁ。あの人は充実してて。それに比べて自分は…」

と落ち込む人が多く見受けられる

「私も幸せになりたいなぁ」

と。

幸せって何なんでしょうね

上に挙げた事ってどこかの誰かが決めた幸せの形のような気がする

そのレールに乗っかってないとみんな不安で不安で

自分もそのレールに乗っかりたいと思う

恋人いない人。よく言われません?

「彼氏(彼女)作らないんですか?」

ぼくはこう言われるたびに

「この人は何を言いたいんだろう」

と不思議になる

恋人がいないとダメなのかな

結婚していないとダメなのかな

目立つ仕事じゃないとダメなのかな

海外旅行行かないとダメなのかな

有名なお店に行かないとダメなのかな

それらがないと幸せじゃないのかな

恋人がいない・結婚をしていない

そんな人は人に非ず

そういう扱いを受ける

本屋に行くと

インターネットに繋ぐと

「キラキラ生きる為の」

「笑顔でいよう」

「愚痴は吐かない」

そんな馬鹿げたことをたくさん目にするけど

そんなことどうだっていいと思う

基本的に世の中は不幸だから

不幸を忘れられる時間のことを幸福と呼ぶんだから

基本的には不幸なのよ

だからぼくは人が常にニコニコしている社会なんて見たくもない

いや、人が無理にニコニコしなくちゃいけないような社会なんて見たくもない

苦しければ苦しいと言える

嫌なら嫌と言える

助けてほしかったら助けてほしいと言える

そういう社会であってほしい

不幸を見つめずして幸福を語る輩には近づきたくないし、近づいて欲しくない

人生から降りる

退屈している


退屈しているし、とても疲れている


ずっとギリギリで踏ん張ってやってきたと思う


もちろん甘い部分や怠けた部分もあるけれど


それなりに、自分なりに、


一生懸命やってきたと思う


そしてもう疲れている


これ以上、やる気や元気を出すこと


モチベーションを上げること


人生を邁進していくこと


それはぼくにとってとても難しいと思う


休みたい


全てから解放されて休みたい


27にしてこうなるのは少し早いかもしれない


でもぼくは12の頃からずっとこうやって生きてきた


15年間ずっと


安らぐことなく


ずっと張り詰めて生きてきた


もう充分だろう


死ぬまで休めないのかな


なかなか厳しい人生だね


人生って厳しいね


生きるってこんなに難しいんだね


生きてるだけで充分よ


みんな


都会に暮らそうが


田舎に暮らそうが


収入が高かろうが


収入が低かろうが


容姿が良かろうが


容姿が悪かろうが


生きてりゃ充分よ


残念なことに


社会はそれを容認してくれないけど


「俺は大変な思いして生きてきたんだ。お前なんてまだまだだ」ってね


お前が大変な思いしてきたのなら


他にも同じように辛い思い抱えて生きている人がいるとは考えないかね


口では「みんな辛い思いしてる」


なんて言いながらも


心では


「俺が!私は!ぼくだけが!」って


だから他人の弱い部分や転んだ姿に寛容になれない


どんどんどんどん窮屈になって


どんどんどんどん肩身が狭くなって


どんどんどんどん追い詰められて


もうやめようぜ


ぼくはそんな社会から降りたいよ


傷ついて弱った人間が自分のペースで生きていける


そんな社会にならないもんかね

頑張りたいのに…

「気合はあるのに…」

「やる気はあるんだけれど…」

「頑張ってるつもりなのに…」

だけど結果が出せない人。
僕もそのひとり。


国家試験に向けて毎年夜遅く、朝起きて勉強して仕事。帰ったらまた勉強。


そのうちに体調を崩す。


勉強し終わってその日1日やったことを振り返ってみると何一つ思い出せない。


自分のやっている努力が徒労に終わる。


愕然とする。


でもたぶん違うんだよ。きっと。


そういう人は頑張りすぎているのだと思う。47.195キロを全力疾走しようとしてる。


結果、ネズミ花火みたいにクルクル激しく回って燃え尽きる。黒い鳩の糞みたいになって。


毎日必死にやることが目的じゃない。
試験に受かることが目的なんだ。


人生もそう。


毎日一生懸命精一杯やることが目的じゃない。


日々の不安をできるだけ少なくして笑って生きることが目的


じゃぁどうしよう。


僕は淡々とやることにした。


感情も気合も気負いもテンションもモチベーションも過去も未来も関係ない


淡々と目の前のことをただやる。


頑張ろうとすれば、出来なかったことに対してベクトルが向く


「いやー今日もたくさん勉強した…でもあまり覚えられなかったな」


それが積み重なると異常なまでに膨れ上がるプレッシャーとの戦いになる


そうじゃない。


淡々とやるんだ。


今日から何かを始めるなら、まるで昨日から…いや、もっと前からやってましたけど?ぐらいの表情でやればいい


「よーし!始めるぞ!」


じゃなくて


「うん。はい。終わり」


淡々と。


「頑張らなくていい」


たぶんそういうことだと思う。


僕は実践してみる

何度でもやり直せばいい

もう一度ちゃんと生きて行こうと思った。


もう一度ちゃんと生きていきたいと思った。


何度で躓こうが、何度で倒されようが、何度で足を掴まれようが


その度に立ち上がって生きて行こうと思った。


それは生の執着ではないと思う。


自分への執着だと思う。


思ったより僕はプライドが高い。らしい。

このままで終わってたまるか、と思う。


「あーあの人は過去に辛いことあったから、どっかでねじ曲がって残念になっちゃったね」


と、思われたくない。思いたくない。


過去は過去で、その時点で完結させればいい。


こうやって人生の谷間に落ちるたびに、


「もういいや。人間失格だわ」


と、諦めそうになることもある。多々ある。


だけれどもやっぱり諦めきれない。大仰際が悪い。みっともない。


それでも行くよ

ワンピース

生きる意味を問う人がいる。

前のブログで「自分で探せばいい」と僕は書いた。

僕の目の前に突然神様が現れて

「あなたは一匹でも多く蟻を生かす為に生きているのデース」

と言われたところで

「そっか!じゃぁ今からそれを実践していきます!僕に生きる意味を与えて頂いて感謝します!」

と僕はなるだろうか。

いや到底ならない。あり得ない。

それなのになぜどこかに生きる意味を求めて絶望しなくちゃいけないのか。

たぶんだけれど生きる意味がわからず絶望している人達(以前の僕を含めて)にとっては、生きる意味=自分が充足感と生き甲斐を感じて取り組めるもの。ということなんだと思う。

で、それがわからない。
何をしていいかわからない。

であれば自分で探し求めるしかないのである。

それをなぜどこかやなにか、だれかが持ってきてるものだと思ってしまうんだろう。

その「生きる意味」っていうのは人生において最も大切なものになる。

宝だ。

ワンピースだ。

多くの海賊が追い求めている財宝だ。

そんな宝が序盤で手に入ったら、ワンピースが自分の村で手に入ってしまったらそれこそその後の人生どうやって生きていけばいい。宝が手に入るのはラストと相場は決まってる。