もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

自分がどうありたいか。お互い様だよ。ほんとね

「本当の自分」なんて考えても仕方ないのはわかってる。

 

僕から見た僕。

 

親から見た僕。

 

姉から見た僕。

 

友達から見た僕。

 

先生から見た僕。

 

上司や先輩から見た僕。

 

どれも全部違う。

 

冷酷。

優秀。

知的。

怠慢。

愚者。

 

全部ひっくるめて僕の出来上がり。

 

この前のブログでも書いたけれど僕は今、自分を積み直している。レゴのブロックみたいに。今までと違う形にしてやっと歩けるようになってきた。それを周りから褒めてもらい嬉しくも感じている。それはまず疑いようのない感情の一つ。

 

だけども周りと社会と馴染めるようになって安心している反面、本当にこれでいいのかと疑っているのも事実。

僕はどこへ行く。
このまま周りと馴染める自分に重きを置いていくのか。
周りとあまり迎合できないけれど心地よい自分でいたいのか。
 
一番いいのは二元論で考えずにどっちにもフラフラ、バランスをとれること。ブロックはある部分では歪でも構わない。歩けさえすれば。大事なのはバランス。
 
この仕事をする上では周りと馴染む僕の方が必要だろう。でもプライベートでは少し馴染まないくらいでいいんじゃないかな。ONとOFF。切り替え。そこら辺をもっと上手に。
 
パブリック僕とプライベート僕。
プライベート僕は少々厄介でめんどくさい奴なので幅広く交遊したり、女の子を口説くにはむかないと思う。苦手なんだ。そういうの。センスがないみたい。男の。
 
でもそれでいいんだ。
どうありたいかは僕が決めること。僕がどういう人間かを判断するのは他人のやること。
 
プライベート僕に難色を示すような人なら元々合わない人だ。
仕方ない。
その合わない人達に好かれるが為に、自分をねじ曲げる必要はない。
合う人達を大事にしていければ。
それでいいよ。
 
これは別に投げやりじゃなくて。
合わない人とは合わないなりの付き合い方がある。もちろん中には無理やり自分と迎合させようとしてくる人もいるけれど。そこは自然と距離を取っちゃう。
「そうだね。そうだね。そうだけども。はい。君はこれ以上中にはいれないよ」って。
 
その代わり大事に思える人は体を張ってでも大事にしていきたい。
目も耳も手も口も、僕には限りがあるから。せめて僕の目の届く範囲だけでも。
 
外交的=善。内向的=悪。
そんな方式いらないよ。
内向的でいいじゃない。それにそんな一言で済まされるようなもんでもないし。
僕は外交的であり内向的。割合の問題。
 
二元論だけじゃやってけないよ。怖いのはわかるけど。
こういうことを言う僕を疎ましく思う人もいる。
 
「重いよ」「暗いよ」「どうでもいいよ」
 
そう思う人がいるのは仕方ない。
 
でも僕はあなたに対して
 
「軽いよ」「薄いよ」「ペラッペラだよ」
 
と思ってるよ。
 
お互い様だね。