「もやもや雲」は、一時的避難所。
このブログのタイトル、「もやもや雲」
もちろんちゃんとした意味がある。
前回のブログ(始めに… - もやもや雲)に書いた悩み。
日々生活していく中で頭の中に浮かび上がる悩みや不安のようなものを、うまく表現できない
という悩み。
日々頭の中で毎日いろんな感情や悩み、不安が沸き起こってくる。それは僕に限らずほとんどの人にあり得ることだと思う。
「あぁ…何か虚しいなぁ」
とか
「ちょーむかつく」
とか様々あるけど、その感情や漠然とした悩みのようなナニカになんとなく名前をつけて存在させ表現することでそのナニカを着地させられる。
ただ言葉は万能ではない。
「言葉は記号である。」と聞いたことがある人もいるかもしれない。
先に現象や物質が存在して後発的に言葉がつけらけた。
リンゴはリンゴじゃないのだ。
昔のどこかの誰かがそう呼び始めた。そして少しずつ浸透していった。
「おい!なんだこの赤くて丸いのは!」
「ばーか。しらねぇのかよ。これはな、リンゴっていうんだぜ!」
こんな感じかもしれない。
ただ安易に名前をつけることの弊害には十分に気をつけなければいけない。理解したつもりになってしまうという弊害。
そして本質的な根源的な理解からは遠ざかってしまう。
言葉は絶対ではない。それは肝に命じておかなければならない。
窪塚洋介主演の「GO」という映画を見たことがあるだろうか。
原作者は金城一紀だったと思う。
窪塚洋介扮する主人公は在日朝鮮人だけれど、在日と呼ばれることや在日らしさを求められる閉塞感にもんもんと嫌気が差している。
クライマックスで、自分が在日だから…という理由で去っていってしまった柴崎コウに主人公は思いのたけを叫ぶというシーンがある。
「俺は何人だよ!何者だよ!
どうして何の疑いもなく俺を在日と呼べるんだよ。
お前ら俺が怖いんだよ。名前をつけなきゃ不安でしょうがないんだろ!
じゃあ俺はライオンだよ。ライオンは自分のことライオンだなんておもってないからな!お前らが勝手につけた名前じゃないか!」
そう。人間は説明のつかない得体の知れないものが怖い。怖くて仕方がない。得体のしれないものが自分の領域に踏み込んでくるのがとてつもなく恐ろしい。人種差別はその最たる例だと思う。
だから人はあらゆる物や、現象や不安や悩みに名前を付けた。安心したいが為に。
僕もやはり言葉に形容し難いナニカが怖くて仕方がない。解決策云々の前に全貌が把握できないからだ。
そこで僕はそのナニカに「もやもや雲」と名づけることにした。これは決定ではなく、仮定として名づけてみた。
得体の知れないナニカの恐怖から逃れるための一時的な避難として。
このブログは僕の避難所だ。そこから雲を少しずつちぎって解消していきたいと思う。