もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

「自分を変えたい」・・・どうすればいい

「自分を変えたい」と強く思っている人はたくさんいると思う。

僕もそう。

 

そして全然変えられない自分に苛立ち、自己嫌悪し、「自分はクズだ」と落ち込んでいく人もいるだろう。

僕もそう。

 

無理して違う自分、理想の自分を演じていてもいつかボロが出るし、本当に疲れる。

ボロが出たり、疲れてきたりすると「あぁ…やっぱり本質は何も変わっていないんだ…変わることができたと思って浮かれてた昨日までの自分をぶっ飛ばしたい…」とまで凹む。

 

「自分を変えることなんてできない。自分はこのままずっとクズのままだ」

 

これは半分正解。

 

「自分を変えることはできない」

いや、「自分と言うのは変えるとか変わらないとかそういう対象にならない」と言ったほうが正しいのかも知れない。

 

少しずつ細かく紐解いていこう(少し似非哲学みたいになるかもしれない)

 

まず「自分」とは何か。

「自分」とは「心」のことだ!!

(…少し恥ずかしい…熱血的な青春小説のようなクサイ台詞みたいだがちょっと我慢して呼んで欲しい…)

 

気を取り直していこう。

まぁ、平たく言えば臓器や顔を変えても僕は僕な訳で、じゃぁ「僕」って何?って言われたら「心」と答える他ないのだ。もしくは「アイデンティティー」と言い換えても良い。

 

じゃぁ「心」とは何。

これは言葉にするとすごく難しいので、他人の言葉を少し拝借しよう。

 

作家の村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で「心」についてこう書いている。

 

「一人ひとりの人間の、過去の体験の記憶の集積によってもたらされた思考システムの独自性」

 

僕だけかも知れないがこれを初めて読んだとき、えらく舌を巻いた。

こんなにも的確に「心」という不確かなものについて、解を導き出している人がいるなんて…と。僕が村上春樹を好きな理由の一つが思考の言語化の確かさにあるんだと思う。

 

この「心」についてもう少し僕なりに解釈すると、僕らは過去の経験に基づいて思考システムを構築している。そして人それぞれ過去の経験は違ったところを通過してきているわけだから、そこには当然差異が生まれる。オリジナリティだ。

その人それぞれの経験から導き出される人生においての選択肢や思考のオリジナリティがいわゆる「心」と呼ばれるものらしい。

 

僕らは過去の経験から得られたデータに基づいて日常のあらゆることを判断し、選択している。

 

でも過去は変えられない。

だから自分を変えることはできない。

 

じゃぁ僕らはこの先、到底容認できない自分とともに生きていかなければいけないのか。そんな苦しい人生をこれからも生きていかなければいけないのか。

 

というとそういうわけでもない。

「過去は変えられない」のであれば、「変えられるのは何か」

 

明日からのこと。もっと言えば、次の瞬間からの行動だ。

 

でもさ!行動の選択肢は「心」が決めるのなら、明日からの行動も今までと同じ自分の心が決めるわけだから結局変えられないじゃないか!

 

でもよくよく考えて見れば、「変わりたい」というのも自分の心が必要としているわけだ。それは紛れもない事実な訳で。

 

じゃぁ何ができるか。

今までの自分を変える必要はない。

否定しなくていい。

 

でも行動を一つだけ変えてみてほしい。

いつもならやらないことをやってみて欲しい。変化を加えてみてほしい。自分の性格や考え方ではなく、行動に。

例えばその小さな変化を1週間続けてみると、それだけで「過去の体験の記憶の集積」の確かな変化が始まっているはずだ。それがいつしか…自分が歩んできた道を振り返ってみた時に大きな変化になっていると思う。

 

僕は明日からの自分を大きく変化させていくのは無理だと思ってる。

だから少しずつ一歩一歩進んでいきたい。

 

明日からの新しい「過去の体験の記憶の集積」を変化させること。

これがたぶん「自分を変えるために必要なこと」の確かな答えだと思う。