もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

生活プログラムに救われる

生活プログラムを実施してから一週間が経った。

 

もちろん完璧にプログラム通りに過ごしたわけではなくて、最初に「別に守らなくてもいい」というオプションをつけたので何も苦にならず過ごす事が出来た。

 

この「別に守らなくてもいい」オプションが、僕にとってはとても重要なギアなのかもしれない。

前のブログにも書いた強迫性障害

こいつを抑制する為のオプションだったからだ。別に怠ける為の口実でつけたわけじゃない。本当に。絶対。

 

「別に守らなくてもいい」は細かく言うと「生活を円滑に回すためにある程度の手順を作ったけれど、必ずしもそれを守って生活しなくてもいい。できない日があってもそれは当然。」という感じだ。

お酒を飲みに行ったり、遊びに行ったりと毎日が同じ生活ではないのだから全てを完璧に決めたとおりにするのは不可能に近い。

 

この生活プログラムは日常にある程度の基軸を設けることで大きくぶれることなく、生活を送る為のものだ。生活の基軸がある程度定まっていれば、イレギュラーな事が起きても自分の基軸に戻ることが可能だから、精神的に身体的にある程度、安定させることが可能だと思う。

 

だから生活プログラムを完璧に遂行しようとして必死になったり、できなかった自分を責めるようなことになっては元もこうもない。薬も度が過ぎれば毒になる。用法容量を守らなければいけない。

 

実際にこのプログラムを実施して体は軽くなったし、寝起きもすっきりしている。

頭もクリアだ。

たまたまバイオリズムが良い時と重なっただけかもしれない。ただ僕はこの生活プログラムにある程度の信頼を置いている。

 

なぜなら実はこの生活プログラムの実施を以前にもやったことがあるからだ。

そのときは今回みたいに目的を持ってプログラムを作ったわけじゃない。

何となく生活を変えてみようと思っただけだった。

 

その時にあからさまな効果があった。

だから今回ももしや…と思い実行に移してみた。

 

前回はうつ病真っ只中だった。

その時はお風呂は夜、寝る前にクラシックを聴く。

ただそれだけだったが、すごく体が楽になっていた。

 

毎日ある程度の同じリズムで生活していくことは心身にとってはすごく楽なことなのかもしれない。余計なことを考える必要がないからだ。

自分で決めた矢印に向かって進めばいい。

毎度毎度道を作って、進もうとする前に「いや…待てよ…あっちのほうが先に向かうべき方角かもしれない」なんて考えなくていい。

 

そして何より、ある程度のという緩さが何よりも重要なんだと思う。

その緩さが生活の基盤にあるから、日常の中でその緩さに助けられる。

完璧を目指してもいい。でもそれによって自分を苦しめて傷つけるのならそんなもんやめた方がいい。

 

どんな壮大な計画があっても、それを実行しなければ意味がない。

そしてそれを実行するにあたって玉砕覚悟では意味がない。

僕らは生き続けて戦い続けなければならない。

途中で力尽きないようにプランを立てる緩さをまず意識していこうと思う。