それでいいのだ。パトラッシュ。
万事順調ではないが気分は悪くない。
体と気分がずっしり重く感じることはある。それが単に体の疲れなのか、精神的な問題なのか、もしくは両方なのかはわからない。
だけどそれが生活や仕事に著しく影響を及ぼしてはいない。
許容範囲内。
コントロール下に置かれている。
恋人が欲しいとか結婚したいと思わない。モテたい・かっこよくなりたいとかそういったこともない。
そういう部分での興味が強く失われているような気がする。
誰かに理解されたいとか好きになってほしいとか、はたまた強烈に恋い焦がれたりとか、色欲のようなものが欠落している。
それが苦しいとかどうにかしなきゃという焦りもない。
何もなくて良いから今の仕事でもう少し稼げるようになって、生活を安定させて自分の時間を大切にしていければそれが何よりも嬉しいと思っている。
落ち着いてゆっくり自分のペースで生活することを欲しているのかもしれない。安心したいんだと思う。
「これでいいのだ」と。
小学生まではそこそこうまくいっていた人生が中学生になった頃から、歯車が噛み合わなくなった。
猛吹雪の雪山の洞窟に閉じ込められた。
その薄暗い洞窟の中で誰かの助けを求めて待ち続けたが、その誰かが来ることはなかった。
自分の足で立って歩くしかない。
そう気付いたのは高校のころだった。
雪山から、猛吹雪の中から脱する為にがむしゃらに歩き回った。
今、自分が立っているところも進んでいる方向も何もわからなかったし、防寒具も何も持っていない。
でも立ち止まれば死を待つだけだということだけしか頭になかった。
何度も
「もういいや。もう疲れたんだ」
とたどり着いた教会で、犬と一緒に天使に連れて行ってもらえたらどんなに楽かと思うこともあった。
実際に何回か足を止めそうになったけど周りの人の支えもあって何とか歩き続けることができた。
目の前の山頂を目指して。
登ったと思ったらそこにはもっと高い山があった。
何度もあと何回登れば…と絶望しかけた。
でもそれを繰り返していくうちに防寒具の作り方や疲れにくい登り方、他人の登り方、自分の登り方。
食料の取り方、配分の仕方。
いろいろな経験や知恵を少しずつ獲得してきた。
苦しいが間違いなく何かを得ている感覚。
大丈夫。
あながち間違っていない。
と思えることも増えてきた。
今もまだ山頂には辿り着かない。というよりもたぶん一生山頂にはたどり着けない。
死ぬその時、その場所が僕の山頂だと思う。その瞬間に過去を下を振り返りここまで登ってきたんだ。と。
「あぁあんな道通ったな」
とか
「よくあんなところ登れたな」
とかそう思えればそれでいい。
もちろん自己満足。
でもそれでいいのだ。
もちろんまだまだこれからも登っていかなくてはならない。いつ死ぬか分からないけどその日までは辛抱強く歩いていくしかない。
辛抱して歩いて行ったところで何が得られるのか、何の意味があるのかと言われると答えに困る。
何かを得たい訳ではない。
何かを得たところでその興奮や感動もそのうち風とともに過ぎ去る。
何かを意味を求めている訳でもない。 必ずしも意味があるから行動し、意味がないから行動しないというわけではないから。意味がなくても行動することなんていくらでもある。
特に期待をしていない。
これをすればあれを得られるとか、こういう意味があるからこれをやるとか。
僕が僕として僕の中のシステムに則って行動することに他人から見た時に何も価値はない。
でもそれでいいのだ。
もっと気楽に。