もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

なんのために

プリンシプル

行動規範とか行動原理、個人的な行動の規則みたいなニュアンスでほぼ間違っていないと思う。

今回のブログでは主に人の行動原理という意味合いで使っていく。

誤用だったらごめんなさい。

 

とりあえずまぁ人の行動原理について書く。

 

なんでこれを書くに至ったかという理由なんだけれども。

 

この前休みで暇だったから外出した時、池袋のジュンク堂書店に行ったのがきっかけ。ここは書籍の数が半端じゃなく仕事で使うようなマニアックな本も多数ある。

だけどもひとつ失念していたのがその日がGWだったということ。

 

人。人。人。

 

日本人はもちろん、海外の方も多数。若い人からそれなりのお年寄りまで。

そこで軽いパニックのような状態になってしまった。理由はわからない。

右を見ても左を見ても似たようなファッション。

わざわざ行列のできている店に並ぶ。

池袋、原宿、表参道、渋谷。

映画館やゲームセンター、服屋、ごはん屋さん。わざわざこんな混む日に来るようなところではない。別にこの街じゃなくてもそこらになんでもある。

これらの街に大した価値はない。

 

でもその街にいる人たちの顔はきらめき、充足感に満ち溢れ、肩で風を切って歩いている。

 

本当にパニックになっていたんだと思うんだけれど、電車に乗っているのが耐えられなくて途中の原宿で降りた。渋谷まで気分転換に歩こう。そこから田園都市線で帰れると。

 

その判断がまた間違い。

池袋なんて比にもならないほどの人。人。人。

 

ファッションが

食事が

会話が

スポーツが

そもそもその街に来る理由が

 

根本的にズレているように感じられた。

 

なんのためにこの人たちはその服を着て、その髪型にして、その店に並び、その食事を食べ、そんな言葉遣いで、そんな会話をして、そのスポーツをして、その街に来るのか。

 

おそらくそれは自己顕示欲でしかないだろうと、そんな人たちと同じ街にいた僕はそう感じられた。

そこにあるのは

自己顕示欲の為のファッションで

自己顕示欲の為の食事で

自己顕示欲の為の会話で

自己顕示欲の為の行動だった。

 

何よりも恐ろしいのはそこにいる人たちが「俺は自己顕示欲を満たす為にそうしている」と気づいてないであろうことだったし、彼らは普段から何かにつけて「個性!個性!」シュプレヒコールを挙げているけれどそこに個性のようなものは何ひとつ見当たらなかった。

そこにあったのは作られた流行に食らいつく、人の形をした自己顕示欲の塊だった。

ファッションはファッションの為に。

食事は食事の為に。

コミュニケーションはコミュニケーションの為に成されるもの。

 

そうじゃないものはもはやそれとは呼ばない。

 

何のために行動するのか。

 

自分のためや信念のために行動している人は少ない。

知らぬ間にメディアや周りに誘導されていく。

 

そういう人間にならないように気をつけなきゃいけない。