もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

今年は僕にとっての分水嶺

2015。

今年は僕の中で色々変化が起きている。

 

今までどんよりと僕の頭の中に在ったモヤ。

それが少しずつ晴れていっているような気がしている。

 

こうやってブログを始めたことも変化だし、(正直こんなに続くとは思っていなかった)生活を見直すようになったし家計簿もつけている。

運動もまた始めた。

 

何かが僕の中で決定的に変わり始めていると思う。

もちろんまだ一歩目を踏み出したくらいの変化しかないかもしれない。それでも僕の「過去の体験の記憶の集積」は確実に変化を見せ始めている。

過去の体験の記憶の集積についてはこちら ↓

 

daru-daruo.hatenadiary.jp

 

見せ始めていると書くと自然と変わっていっているように聞こえるけれど、僕が意識的に行うようにした結果だと思う。でもまだまだ課題が山積みだし不安はたくさんある。

でもこれはそこに辿り着くための過程を辛抱強くやっていくしかない。

 

仕事を除いた今の課題は浪費癖有言不実行

どちらも自分で思い返して本当に嫌になる。

なのに治せない。

 

前置きが長くなったけれど今日のブログは浪費癖について書いていこうと思う。

 

 

僕は今まで自分の浪費癖について仕方ないと思っていた。

満たされないナニカに対しての代償行動だと。

ストレスが溜まってたんだ。仕方ないと。

それにお金を使うことに何の躊躇もない。「お金は使って当たり前」だと思っていた。

 

何よりも一人暮らしなのだから「何でも自由」だと思っていた。

前のブログにも書いたけれど「自由」の意味を拡大解釈して履き違えていた。

 

daru-daruo.hatenadiary.jp

 

まずそこから変えないといけないことに気がついた。

「何でも自由」に過ごすのはたぶん人間にとって、とても不自由で、不安で、孤独な状態だと思う。すごく根気がいるし、病的に傾倒できる自分を持っていて、それでいて呆れるくらいの行動力が必要になる。僕はそれに当たらない。

 

今の現状の僕は「お金を使う」ことに罪悪感を覚えるぐらいじゃないといけない。

そしてまた強迫的にならないように、使ったお金が少ない日は自分を褒めるようにしないといけない。これも暗示をかけ続けるしかないのかな。今のところ有効な手段は思いつかない。

「お金を使わない」ということを我慢じゃなくて達成感に変換しないといけない。

 

僕はこの歳になってやっと自分の軸を作ろうとし始めている。

たぶん本当の意味での精神的な自立。

一人の人間として生きていく為の覚悟と規律。

 

なんて言うとちょっと大げさかもしれないけれど今年は僕の分水嶺

うん。頑張ってみよう。