自信がない!
自信がもてない。
そんな人がたぶん世の中にはたくさんいると思う。
じゃぁどうすれば良いのか。
まずは自分を認めてあげましょう。
許してあげましょう。
自分を責める必要はありません。
あなたはかけがえのない存在なのですから。
笑顔と感謝を忘れずに、小さな幸せと小さな成功体験を積み重ねてすごしましょう。
なんてね。
でもこんな言葉が溢れてません?
(今回のブログは僕の偏屈な性格の悪さがでてしまうかもしれない)
こういう素敵言葉、キラキラ言葉、えせポジティブ心理学がたくさんたくさんネットや本に溢れてる。
これで「そっか!なるほど!」と思えるならそれはそれで結構。
でもね…こういう表面だけ綺麗に着飾った言葉でさらに傷つく人もいるし、間違った方向に進んじゃう人もいるのは紛れもない事実だと思う。
本当に悩んでいる人はね、こんなことわかりきってるよ。
それでも解決しないからとことん悩んでるわけで。
親の愛を受けずに育った人間に、親の大切さを説くようなもんだ。
わかってるよ。親という存在の尊さとか。でもそこを経過してこなかった人間にとっては絵空事でしかないんだよね。
じゃぁどうするか。
ここでいじけていてもしょうがない。
僕はまず、「自信」と「過信」と「慢心」をしっかり区別してみた。
やったことのない領域に関して、自分に何かしらの期待を持つのは過信。
知らなくて当たり前。できなくて当たり前。ゼロから一歩ずつ辛抱強く進むしかない。
やったことのある領域で、自信満々に期待するのは「慢心」。
何事もやってみないとわからない。良くも悪くも。
じゃぁ「自信」って何だろう。
たぶんだけれど「自信」は、「俺ならできる」ということではなくて「頼んだよ。俺」と、託すということに近いと思う。結果はどうなろうとも。
もし悪い結果だとしても「まぁ今回は残念だけど、次はまた頑張ろうぜ」と背中をおしてやればいい。
「信じる」というのは対自分においても、対他人においてもそういうものである気がする。結果はどうあれ任せていくこと。
例えば、仕事でミスをしたときに上司から自分を信じてもらっていると感じるのはどちらだろう。
①「俺はお前を信じてたのに期待を裏切りやがって!期待した俺が馬鹿だったよ」
②「まぁ今回は残念だったけど、次もよろしくな」
僕は圧倒的に②。
自分が上司になったら②のような上司になりたい。
が、「信じる」という言葉の意味を履き違えていたら到底できっこない。
「信じる」ことに「裏切られた」はない。存在しない。それは勝手な押し付けだ。
それは自分に対しても他人に対しても構造は同じだ。
自分に対しての評価は目の前の結果のみでいい。
過去も後悔も、未来も期待も必要ない。それは「自信」という言葉の枠組みをはるかに超えている。
そこを履き違えてしまうと「自信を持つ」という泥沼にはまり続けることになる。
そしてもう一つ履き違えてはいけないのは、他人はそこまで自分に興味をもっていないし大体のことはすぐ忘れる。忙しいからね。
何日も経っても覚えているほど、その人の中に悪いものを残してしまったらその時は反省して謝ればいい。そういうところには敏感なはず。悩んで生きてる人間なら。