生きづらさの正体
生きづらさってなんだろう
今まで外的要因については何回か書いてみた。
今回は内的要因について書いてみようと思う。
生きづらさ。
何だろね…日常を過ごしていく中で、何だか満たされないというか何かが欠落している感覚。寂しさ、影が差す、楽しめない、生きていることそのものが息苦しくてしんどい。そういう感情の集合体がいつも自分の中のどこかに常在している。
たぶんだけれど…というか僕の場合だけど、「これは本当の自分じゃない」感を強く感じることが多い。「いい自分」でいないといけない。人に嫌われたり、怒らせたりしてはいない。そういう感情に囚われている。
それを続けていると「これは本当の自分じゃない」という閉塞感みたいな窮屈さだったり、周りの人を騙し続けている自分への怒りが強くなっていく。
それどころか偽りの僕を評価している周りの人たちへの勝手な不信感。
「あぁ…この人たちは何にもわかってないんだ」という本当に本当に身勝手で不当なものだと思う。恥ずかしいくらいに。
「誰にもわかってもらえない」という絶望感を感じてより一層、孤独に感じるようになる。
誰かと一緒にいても心から楽しめない。誰かから好意を寄せられても「いやいや…俺のこと知らないくせに」と拒絶し、人から求められているだろうキャラを精一杯こなす。
弱音も本音も全部心の奥底に。
自分から、「本当の僕」がみえないように閉じ込めているのに、「本当の僕」をみてほしいという矛盾。
それは「僕が思う僕」と「周りの人から見た僕」との間に大きなギャップを感じることが何よりの生きづらさに繋がっていると思う。
でも案外、見抜かれていたりするんだけどね。
そうなった原因としては、やはり家族にあると思う。
親からの愛とか、家族の繋がりとか、崩壊する前の理想的な家族とかそういうものを繋ぐために、自分自身で縛ってきたことが「無理やり作り出した自分」と「本当の僕」との間に大きなギャップを築いてしまったんだと思う。
そして何より「本当の僕」に対しての不信感を産む。
「本当の僕」ではうまくいかなかったから、「偽りの僕」を作ったんだから。
全ての元凶は「本当の僕」にあると。
僕は自分に対して自己否定が強すぎるきらいがある。
それは自分に対する過大な信頼の裏返しでもあるんだけれど、
「こんな生きづらいのは嫌だし、自分に何か原因がある。自分を変えないといけない」という焦りを産む。
そういう自己否定感をあまりにも持ちすぎると、「本当の僕」はその存在すら否定されることになる。居場所がなさ…「本当の僕」はどこにも出しちゃいけないと感じる。
あ、だから依存するのかな。
ここなら安心していられると思える場所にしがみつくたくなる。
自分を必要としてくれる場所に、人にしがみつきたくなる。
「自分が居てもいいんだ」という安心感。
(碇シンジも最終回でそんなことを言っていたっけな)
依存できる場所は自分の存在証明になるのかもしれない。
自分を否定していると、何に対しても満足感が得られない。
そりゃそうだ。「偽りの自分」が得たものなんて偽者の価値しかない。
嫌悪すべき「本当の僕」が得たものは身勝手で素直に受け止められない。
日常を送ることに安心感なんてものは訪れない。
いつもナニカを追い求めていく生活。
足りないナニカ。
満たしてくれるナニカ。
安心させてくれるナニカ。
渇く。渇く。
何かを達成しようとも、何かを得ようとも渇き続けるそんな人生。
という虚無感をずっと感じ続けることになる。
いや、なっている。
それがたぶん生きづらさの正体。
自分の感じたことを素直に表現する場所。
みたいな場所があればいいのかもしれない。
ネット上でやけに攻撃的な人、クレーマーと呼ばれる人はそういう場所に表現する場所を求めているのかもしれない。
だけれどそれは正しくない。
いや、それで周りの人がどう思おうと関係なく自尊心を保てるのならその人にとっては正しいのかもしれない。
でも僕や、僕と似たような悩みを持っている人はそれができない。
周りに迷惑をかけることは最大のタブー。それをやった途端に自己嫌悪の軍勢が大挙をなして襲ってくる。
僕はこういった自分の現状を踏まえてどうすればいいか考え続けてきたけれど、何が正しいかなんて全くわからない。
なのでヒントだけ最後に書いていこうと思う。
これをどう受け取るか。どう自分の血肉に変えていくか。
僕次第。
「泣いてでも人に助けを求めるくらいの根性をみせろよ」
「君は今、自分で決めたルールでがんじがらめになっているだけだよ」
「嫌われることが嫌でへらへらしているやつになんかなりたくない」
「一度人生にケチのついた人たちは自分を捨ててでも頑張っていくしかないと思う。これはもうほとんど義務だよ」
これは全部、映画「ヒミズ」の台詞。
すごく心に刺さる。
最後に一つだけ。
このブログの最後に映画のセリフを持ってきたのは、考えすぎてまとめるにまとまりそうになかったから強引に終わらせようとしたわけではない。
決して。たぶん。