父の呪縛
僕は父が苦手だった。
身長も高く、野球をしていただけあって細身だがガタイがよく、寡黙で一切の妥協を許さない。とても厳しい。父の前では甘えや言い訳は一切許されない。
そして僕のことを細かく観察していて逃げ道がないほど多方面から指摘され、説教される。
僕はサッカーをしていたのだけれど練習や試合には必ずと言っていいほど顔を出す。
監督からは褒められもした。
「お前の父ちゃんはいい父ちゃんだな。感謝しなさい」と。
確かに今思えば仕事以外の全てを僕のサッカーに費やしてくれた。
野球をさせたかったはずの父の期待を裏切り、僕はサッカーの道を選んだのに。
でも練習や試合のあとの帰り道はずっと反省会だった。
僕は父から褒められたことがほとんどない。
一度だけ高校の時に褒められたがその一度しか記憶にない。
その反省会は帰りの車の中だけで終わるのならまだマシだった。
時には試合を録画したビデオを見ながらの反省会をすることもあった。
もちろん優しい言葉ではない。
時にあまりの厳しさに母が父に食ってかかり、喧嘩になることもあった。
小学生の頃は県大会でも常に上位を争うようなチームだったから父の要求も高かったし、期待もしていたんだろう。ただその反省会が役に立つことはほとんどなかった。
僕は父が見ている時は萎縮してしまって思うようなプレーができなくなっていった。
父がいない時は思い切ったプレーができる。
調子も良い。楽しい。
だけど父が見ている時は僕は試合どうこうよりも、父にどう思われているかしか頭の中になかった。父が仕事で遅れて見に来るという日は、いつ父が来るだろうかと試合そっちのけで辺りを見渡していた。
そしてそれは今も続いている。
歳上で仕事ができる、そして僕の悪いところを指摘してくれる男性がすごく苦手になってしまった。萎縮してしまう。何かやればすぐ指摘される。痛いところを突かれる。
有難いことではあるんだけれど、僕は全く自分を出せなくなってしまう。
そして、それは父にも共通するのだけれど僕の意見は簡単に跳ね返される。
ロジカルに。
そのうち何を言っても無駄だと話すこと自体が億劫になる。
どんどん塞ぎ込む。
悪循環である。
自分の痛いところをついてくる人を苦手としない人はいないと思う。
だけど僕は異常なまでに萎縮してしまう。
自分の持ち味のようなものを出せなくなってしまうのである。
自分がやっていることが正しいことなのか、言い回しや態度は間違っていなかったか。落ち度はなかったか。
何か行動するたび、発言するたびに自分の中で反芻して粗探しをするようになってしまった。僕の自尊心は割と早いうちにへし折られ隅に追いやられてしまった。
こういった色々なことが原因となって今の僕を形成している。
でも僕は両親を憎んではいないし、尊敬している。
事実としてそういう事が原因なのだろうとは思うけれど、これからどうしていくかは自分の責任でやっていかないといけない。
原因は事実として認識する。
だけどそこに感情は乗せない。
これは過去のことだから。
分析してそこにとどまってちゃ何の進歩もない。
どこにもいけない。
親の目から、僕の心の中に存在している親の目から解き放たれないと前には進めない。