もやもや雲

漠然としたもやもやをできるだけシンプルに

うつ病だった僕が「明るくなったね」と言われるまで

最近「本当明るくなったね」だったり「雰囲気が大人びたね」と言われることが増えた。

 

僕からすればそれはしてやったり、というか狙ってた部分ではある。

自分自身が一番実感していた部分だから嬉しかった。

 

あんなに人と接するのが嫌で、話すのが嫌で笑えなかったのに、今では自分でも驚くくらい明るくなった。いや厳密に言えば僕は本来根は明るい子だった。

 

剽軽で活動的でヤンチャな子供だった。

 

だからその頃に少し戻ったと言えば戻ったし、新しい自分の部分を開拓したと言えばそうなると思う。それも自然にこうなったわけではなく意図的にこうなるべく考えて行動してきた。だからそういうところを見てくれる人がいるのはとても嬉しかった。

 

僕が何をしたか。

 

暗かった自分から今の自分になるまでに何を考え何に悩みどう動いてきたか。

 

人間はある程度(大体20代前半くらい)までに自分という形を形成していく。   レゴのブロックみたいなもので自分を積み上げていく。ブロックの一個一個は産まれ持ってる物もあれば親から授かった物、押し付けられた物。他人から投げつけられた物。差し伸べられた物。環境によって作り出された物。様々な形や重さの物がある。

それをなんとか組み立てながら道を歩いている。

 

僕は21の時に、この形じゃもう歩いていけない事に気がついた。

うつ病が発覚した時だ。

自分では気づかないうちに歪な形に積み上がり、今にもバランスを崩し倒れてバラバラになりそうだった。みんなが横をスタスタ歩いていく中、僕は倒れないように必死にバランスを取り踏みとどまっていた。
だけどバランスを取ろうとすればするほど、踏みとどまろうとすればするほど僕のブロックは一つまた一つと落ちていっていた。
 
そんな時に支えてくれた人がいた。
落ちたブロックをすくい上げてくれた人がいた。
 
僕はその人のためにも自分が変わる必要性を感じた。不格好でも構わないからもう一度歩けるように。
 
そこで敢えて1度ブロックを崩した。そして一つ一つ確認した。
 
これはいつのブロックだろう。
 
どんな形でどんな重さなんだろう。
 
あぁあのブロックが無くなってるな。
 
あ、これヒビが入ってる。
 
そうやって自分の過去と向き合って自分を見つめ直し、また一つずつ積み上げていくという作業を繰り返した。何度も何度も試行錯誤を繰り返して発症から3年で通院を終え、6年で変化を感じられるようになった。
 
もちろんまだまだではあるんだけれども「よしよし、いいぞいいぞ」という感覚は得られている。
 
もちろん自分と向き合うのは時に苦しい物であったし、そうやって立ち止まっている時に失われていくものもあった。ただその時間がなければやっていけなかったという自信はある。自信というか「あの時間があったから今の自分がある」という感覚。
 
もちろん今の僕が全てにおいて正しいわけではないだろうけど、今の僕は十分歩いて行けるだけの力はある。
 
またこの先いろんなブロックが積み上がっていくだろうし、失われていくものもあると思う。でもまた歩けなくなったら立ち止まればいい。
 
大事なのは周りとの競争じゃない。
 
僕が僕らしく、そしてある程度周りと寄り添いながら歩いていく事だから。